drowsiness

Japanese Guitarist/Composer

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drowsiness「Indifference」
セルフライナーノーツ


「Indifference」がリリースされ10年が経過した。
大学3年生の頃にリリースされたこの作品は
とても思い入れがあり、
自分にとって学生時代の集大成でもあった。

この作品がリリースされて10年経ってもdrowsinessを
活動出来ていることが何よりの驚きでもあり、
多方面への感謝や謝辞が心底尽きない。

本日この「Indifference」がストリーミング配信された。
それを祝して、当時の頃を拙い文章と共に、
簡単に振り返りたいと思う。

drowsiness





2013年、drowsinessは結成2年目のギターデュオだった。
未だdrowsinessのアニバーサリーイベントに出演した
スズカケイトくんがメンバーであり、少しバンドらしさを
含んでいた頃である。
1st album「drowsiness」をリリースした後のその頃は、
様々なライブハウスやレーベルにデモを送り、渡しを繰り返し、自分の出番を増やしていっていた。
未だ音楽活動でギャラが貰えていない頃である。



drowsinessは次のアルバム制作に取り掛かることとし、
1st album「drowsiness」でもお世話になった
サウンドエンジニアであるヨコハタトクヤくんにお願いし、
彼のスタジオでレコーディング、
そしてミックスマスタリングを行った。


今作はヨコハタくんのアイディアが
随所に散りばめられており、まずDAWで制作した音源を
カセットミキサーを通してアナログサウンドの温かみを含み、
またDAWで微調整するという工程を通っている。

また打ち込みのサウンドを取り入れたことも初だ。
打ち込みへの抵抗は凄まじく、
「打ち込みみたいな音をギターで作ればいいだろう」というdrowsiness学生の底知らずの無知さ、今の自分には寒さ、
いや悪寒を感じざるを得ない。

ヨコハタくんの考えやインスピレーション、ボキャブラリが
この作品の雰囲気を大きく支えているのだが、
この頃drowsinessはそこまで自分の音や世界観作りに
こだわりを持っておらず、自信やいい音を出す根拠
(若さ故の底知らずの自信)が無かった。




また、ケイトくんがdrowsinessを脱退するきっかけを経ていく
最中でもあったと意識している。
ケイトくんの理解とサウンドの屋台骨があるお陰で
ライブのクオリティを担保出来ていたし、
そこに盛大な甘えがあったのだが、
まさかケイトくんが脱退するなど、
当時は考えも受け入れも出来なかった。
その脱退を埋めるためのありとあらゆる乖離を埋めるのは
内外に相当な時間を要した。



もしあの脱退が無かったのなら、今どうなっていたのだろう。

僕はケイトくん脱退後の今の状況を
今でも全て利己的に肯定は決して出来ない。
でもそこはケイトくんが大人であり、
かけがえのない唯一無二のdrowsinessの理解者であり、
親友であったことが大きかったのだろうと推測する。
そういう関係でなければ、
drowsinessのアニバーサリーイベントでの共演は、
あんなに前向きに眩かなかっただろう。


そして、drowsinessを語るうえで欠かせない
中山晃子さんとの絡みもこの頃から始まる。
大学で偶然会ってしまったが故に、
この先輩を追い、時に大きく距離を置き、
遠くでずっと見ていた。

大学の学食で中山さんと話していたことは
お互いほぼ実現出来てしまった。
あと1つ残っていることがあるが、それは未だ先で良い。
当時はライブでの共演をきっかけに
「drowsiness=中山晃子」のイメージが広がっていただろう。


今は以前よりもそこまで共演することのこだわりは無いが、
勿論仲が悪い訳ではない。
会って話すとき、僕はいつも完全に
学食で話しているかのような気分だ。
その中山晃子さんとの仲が深まったのも、
このアルバムが大きく作用している筈だ。


当時の中山さんは、
この頃の音にBattlesへの印象を重ねて下さっていた。
勿論お互い好きなアーティストであるので、
大変光栄だったのをハッキリと覚えている。






そんな事柄があった今作のお陰で、
今も自分は音楽活動を続けられ、
それは仕事になってしまったどころか、
想像以上に発展していってしまい、
周囲の逃げられぬ目も多々ありつつ「取り敢えず自分に責任を」
持たざるを得ない形になってしまった。


良くも悪くもこの状況は想像出来ておらず、
今も相応でないと心底思う。
非現実が現実に重なり続けており、
それが日常になってしまったからだ。



僕は比較的この状況を楽しんでいる。
まだ楽しめる余白を大いに含んでいることが
楽しくて仕方がない。
今回を契機にIndifferenceの次作のLiberationへのストーリーも
いずれ筆を取り始めようと思う。

前段が長くなってしまったが、各楽曲を回想していきたい。






「Indifference」収録曲回想







Blue



この楽曲はdrowsinessクレジットではあるのだが、
ケイトくんがすべて制作した楽曲。


聴き手側にも配慮されデザインされた
デジタルサウンドアートな楽曲は、
当時のケイトくんの新旧の音楽体験のときめきが
散りばめられている。


この頃、ケイトくんと僕はMELT-BANANAを聴き出した。
今もなお途轍もない影響を受け続けている。
その影響も随所に置かれている。


今振り返ると、この楽曲をまとめきる力も構想力を
踏まえたケイトくんはすごい。
この路線でソロアルバムを作った先の事柄を
密かに楽しみにしている。







Without World Beating



自宅でソロセッションを行っていた際に、
ショートディレイとロングディレイを重ねると起こる
リズミカルなリフに、当時聴き始めたばかりの電子音楽や
打ち込みの音への印象を重ねていった曲。
打ち込みのアイディアは前述の通り、ヨコハタくんだ。


曲の展開はデモの頃から輪郭は出来ており、
そこにケイトくんの重いギターリフから
最後が一気に軽やかで浮遊感のあるリフが展開されていく。


僕のギターとケイトくんのギターの質感の対比は、
シューゲイザーやチルアウト、ベットルームミュージックの
最初の原体験を基に作られていっていたが、
一番大きく作用していたのは、
Brian Eno, LaraajiのAmbient 3(Day of Radiance)の世界観。
これをギターで表現したら面白いのではという
原体験と衝撃が大きく寄与している。








Re:From a Certain Morning to Night



1st album「drowsiness」収録楽曲の改訂版。
この頃は今ほど耳で音を合わせられる素養が
無かったにも関わらず、謎の不協和音で成立してしまっている
世界観は今では考えも再現も出来ない。
この事情に何事も言わずに自然と合わせている
ケイトくんに何度も脱帽である。


この音のデザインや配置は今のdrowsinessに繋がる試金石が
間違いなくあるのだが、今ライブで音を再現すると、
やたら綺麗なリズムミュージックになってしまうことに
違和感を感じてしまう。


尚この頃はこういう楽曲に、
そこまで低音を重ねていない。
倍音はよく多様していた。

楽曲後半のパンニングするトレモロは
僕の意志でヨコハタくんにお願いした。
こういう楽曲のサラウンド感への意識が
時折芽吹き出したのもこの頃だ。




Run Thought Yesterday


短くInterlude的に作った楽曲だが、
オクターブとイコライザーでひどく強まった低音ギターをdrowsiness、ディレイの余韻のあるクリーンギターをケイトくんが担当している。
さり気なく日頃の役割が逆なのだ。


デモではとても荒々しくも寂しさを感じる状態だったが、
今聴くとアブストラクトなサウンドアートのような雰囲気も感じる。


当時、時折イタリアのサウンドアーティスト・彫刻家の
Harry Bertoiaを聴いており、
それがサウンドアートの原体験だったのだが、
そこへの何かしらの回答だったのかもしれない。


ライブでの音量は非常に大きく、
ベースアンプのキャビネットが2回故障したことがある。
(深く反省)







Dear Vain



drowsinessのライブで最も演奏した楽曲になってしまった、drowsinessのライブでお馴染みの曲。


この曲は「Indifference」のレコーディング前の自宅での練習で
偶然最初から最後までの構想が全て出来てしまい、
そのままレコーディングに持っていき、
そのまま出来てしまった。

ケイトくんは一番最初に聴いた
デモバージョンが一番好きだ。


おそらくCorneliusからのインスピレーションも
あったのだと思うが、妙にアンビエントな清涼感を
含んでいるあたりに、
やはり前述の (Day of Radiance)の影響は
間違いなくあったのだろう。

出演者や関係者は、
クラウトロックやデュルッティコラムなど
多くをdrowsinessに重ねてくださっていたが、
相変わらず、ミュージシャンにしては、
音楽には無知であった。


僕のディレイギターにはアコースティックギターを
DAW上混ぜていて、フォークトロニカのような肌触りに
しつつも、そう見えないよう、
ケイトくんのギターに浮遊感を持たせ、
ストリングスのような要素を加えたかった。
俯瞰すると少しポストロックさも垣間見える。


この曲を中山晃子さんが気に入り、
当時の某学生コンペで優秀賞を取り、
その景品で頂いたマイレージがきっかけで
初の海外公演となる台湾ツアーが始まった。

偶然デモを募集していたクリエイションレコードの
アラン・マッギーさんからも返信を頂いたし、
多くの方にdrowsinessを覚えて頂いた。


しかし、「この曲以外の印象ないね」と
心無いことを言われて傷ついて一時期全く演奏しなかったり、
ギャラが貰えなかった現場で
「Dear Vainが好きなんですけど、
演奏してくれなかったのですね」 と言われて、
意固地になりアレルギーや癇癪を起こしていた曲でもある。


この曲を何度も超えたいと思ったけれど、出来なかった。
それくらいに色々な思いがあるのだけれど、
それでもこの曲を聴いて満足してくださる方の思いや言葉が忘れられず、
そこが何度も巡り、ライブ会場ごとの雰囲気が
そのまま乗り移って毎回アレンジが変わる
即興演奏のようなアレンジ性の高い曲でもある。

実はこの曲を聴くためだけに
何千円払っても良い」という方も
いらっしゃるくらいだ。
そんな曲を学生時代に作れたこの人生に
早くも素直に心底感謝しなければいけない。


この曲を契機にもっとdrowsinessに
興味を持って貰えればとも思いつつ、
もっと良い音楽体験を作ることへの
大きな励みにもなっている。




Breast to Breast



このアルバムを作るにあたり、一番最初にデモが出来た曲。
実は一番好きな楽曲である。
人の心や寂しさを表現しようと思ったら、こ
の曲の中ですでに鳴っていた。

もっと静かな曲でも良かったと思うのと同時に、
ライブでは当時最もダイナミックな曲でもあった。


デモを作った当初、虚無感や喪失感のようなものを
音にしたいと考えた。
過去の楽曲に感情の推移は込められておらず、
いつかそうしたものも音になるのかもしれないと考えた。

一方でワウから生み出されるキラキラとした
「刹那的」なdrowsinessを形容する一部分の音を
初めて楽曲に込めた初体験もこの曲である。


ワンコードで展開され、音色と抑揚のみで展開されていくが、
正直音楽の表現なんてこれくらい簡素で良いと、
反骨精神的なスタンスを取りたかったのかもしれない。


当時、ある方から「こんなに大きな音が鳴らなくてもいい。
最初だけでいいんだ」と
言われたときに全然理解出来なかった。

それがアンビエントやドローンという
音楽への解釈の一つであることに気づいた数年後、
その方に改めて深く敬意を払わねばと感じたことも
少し懐かしい。